【香川県出身】紅型(型絵染)の人間国宝 そして 首里城を三度救った鎌倉芳太郎の話
2020年の訪沖の際、復元中の首里城を見た後、首里の町をぶらぶらしていた際に、
「何処から来たの?」「香川県からです」
と言う地元の方とのやり取りの後、初めて耳にしたのが香川県出身の鎌倉芳太郎という人物です。
ゆくい三線サークルのメンバーに、氏の名前を尋ねた所、やはり誰一人知らなかったという現実、こうして、香川県で三線・沖縄に関わる者として、これではいけないと、まずは香川県三木町にある鎌倉芳太郎顕彰碑へと足を運びました。
目次
首里城を三度救った鎌倉芳太郎
香川県三木町出身、沖縄伝統の染織技法である紅型の技術を継承し、1973年(昭和48年)重要無形文化財「型絵染」の保持者(人間国宝)に認定された一方で、染色だけでなく、フィールドワークから得た、琉球文化の研究は「首里城を三度救った男」とも称されます。
一度目
1923年、鎌倉芳太郎が沖縄の調査活動に乗り出した矢先、三日後に首里城正殿を取り壊し沖縄神社にする工事が始まると言う新聞記事を、たまたま目にしました。
すぐさま内務省に解体中止を訴え、実際に工事が中止となり、この後史跡に指定されたと言うんですから、新聞をもし見ていなかったらと思うと、氏と今に続く首里城との縁がこの時から始まったのは間違いありません。
二度目 平成の復元
先の大戦においては、日本軍は首里城の地下に司令部を置いたこともあって、徹底的に破壊され、かろうじて残された宝物なども米軍に持ち去られました。
戦後は、琉球大学が置かれましたが、首里城復元の声が高まり、1986年(昭和61年)に国営公園として復元整備することが決まり、鎌倉芳太郎が残した資料の数々は、首里城の復元に大いに役立ちました、これが無かったら、復興は成らなかった、と言う声もあるぐらいです。
写真や詳細なスケッチなど、7512点もの資料で、これらの活動を記録したノートは鎌倉ノートとも呼ばれ、81冊が今でも大事に保管されて居ます。
三度目 令和の復元
2019年に起きた首里城正殿の火災のニュースは、盛んに報道されたので、記憶に新しく目にした方も多いのでは無いかと思います。
現在、再び復元が急がれていますが、ここでもまた鎌倉ノートが活躍しているのです。
このノート、一部がネットで公開されているので興味の有る方は是非御覧ください。古い文字で書かれているので難解で、サイトの作りが見ずらいのは問題だけど、素晴らしい資料だと言うことは、素人の自分などにも判る貴重な物です。
>>> 鎌倉芳太郎資料
平成の改修以降に、氏の資料からは新しい発見が相次いで見つかっているそうです、例えば、柱の形であったり、彫刻であったり、令和の復元ではこれらも再現されるとのこと、令和8(2026)年の完成を目指して工事はスタートしており、令和の首里城も、また必ず訪問したいと思います。
画像は、首里城の瑞泉門の門前にある龍樋(りゅうひ)の湧き水(2022年撮影)。その昔は王家が利用していたと言うことですが、この水を鎌倉芳太郎は写真の現像をする際に利用していたんだとか。
沖縄文化の遺宝などの著書
(画像をクリックでアマゾン)
沖縄文化の遺宝 1982/10刊行、こちらは現在絶版で中古として時々出る物を入手するしかありません。
沖縄ユーチューバーの阿波根さんが、首里城への坂道を解説してくれてます。
香川県三木町にある鎌倉芳太郎の顕彰碑(けんしょうひ)とかまくらコーヒー
ここまで、各所の資料を纏めましたが、ここからは実際に鎌倉芳太郎の足跡を尋ねたレポートです。
鎌倉芳太郎の顕彰碑
顕彰碑は、三木町総合運動公園の入り口手前のため池の側に、ひっそりとありました。
これだけのことをした偉人だと言うのに、近くにある、ため池の碑などの碑の方が大きいってことに、香川県での鎌倉芳太郎の知名度が伺われますね。
甥御さんが営まれる アートギャラリーかまくら 南米珈琲
こちらは、鎌倉芳太郎の作品も展示してあるギャラリー的なカフェ。氏の生家の隣にあって、甥御さんの鎌倉佳光氏が営まれています。
ゆくい三線サークルでこのカフェのことを訪ねたら、鎌倉芳太郎は知らないけれど、行ったことがあると言うメンバーがおり、シンプルなカレーが美味しいよとの情報も。
カレーも珈琲も美味しかったですが、コーヒー豆や道具などが散らかってる中で埃をかぶったギャラリーがちょっと残念。
なんだかなー、と言う気がして、結局話しかけることもしませんでしたが、年格好から恐らく甥御さんと思われるマスターも結構なお歳で、もはやそこまで手が回らないんだろうなと思いながらお店を後にしました。
まとめ
首里城を見ることの出来る場所に、鎌倉芳太郎顕彰碑を建てる、と言う話は着実に進んでいて、すでに場所の候補まで絞られているそうです。
沖縄文化研究家として、首里城との縁が特にピックアップされますが、流石に型染めの人間国宝と言うだけあって、1400点もの型を収集して残されているとのこと、
琉球舞踊で扱われる小道具や三線のスケッチなど、戦争により失われた、伝統芸能はもちろん、かつての沖縄の姿を記録し現代にその姿を伝えるのが、香川県出身の者だと言うのは、嬉しいことだと思いませんか?
三木町の名誉町民とかだけじゃなく、もっと香川県の人にも氏のことを知ってもらいたいと願います。
追伸 2023年9月末日
鎌倉芳太郎顕彰会と言う団体が立ち上がり、活動を始めた様子です。もちろん、ゆくい三線サークルとしても参加させていただきました。
>>> 鎌倉芳太郎顕彰会
コメントを残す