2022-08-17

香川県のサトウキビ畑と砂糖の話

香川県のサトウキビ畑と砂糖の話

御覧ください、まだ背は低くて、収穫は今しばらく先ですが、南の島で見慣れたさとうきび畑の風景は、さぬき市津田、津田のSAの直ぐ近くです。

この風景が沖縄の物ではなくて、香川県の物だと聞いて、知らんかったと驚かれる方は少なくないと思います。

夏休みのいち日、讃岐のサトウキビを知りたくて、ゆくい三線メンバーであちこち訪ねて歩きました。

香川のサトウキビの歴史

中国からの輸入に頼っていた砂糖はとても高価なもので、江戸幕府は、砂糖の国産化を指示しました。

最初に砂糖の製造を始めたのは沖縄地方で、薩摩藩はそれにより莫大な利益を得ましたが、日射が多く雨が少ない瀬戸内気候により讃岐は、サトウキビの栽培に適しているのではないかと、時の讃岐高松五代藩主松平頼恭(よりたか)公【明和8年(1771年没】は、なんと、讃岐の有名人、平賀源内にサトウキビの栽培を命じたんだそう。

平賀源内って実は、って話が有るぐらいなんで、眉唾でええかと思いますが、

1798年(寛政10年 11代将軍 徳川家斉)に香川県の讃岐で作られた和三盆が大坂に出荷されたと言う記録がきっちり残っているそうで、以後、安価な輸入砂糖が出回る明治末期から昭和の時代になるまで、質・量共に日本のトップクラスの砂糖を供給していたということです。

薩摩の人間がサトウキビ栽培から製糖を伝えたと言う話があって、江戸の時代に沖縄と江戸を行き来した琉球使節は、薩摩の船に乗り込み瀬戸内を航海していたので、沖縄と香川のサトウキビは、やっぱり何らかの繋がりが有るのかもと思ってます。

サトウキビの種類が違う

香川県のサトウキビ畑と砂糖の話

香川のサトウキビは竹糖(ちくとう)と呼ばれて沖縄のサトウキビとは種類が違い、農家では細黍(ほそきび)とも呼び、親指ほどの太さで男性の背丈よりもちょっと高いぐらい(画像は沖縄のサトウキビです)です。

沖縄のサトウキビと比べると、竹糖は糖度が低く、独特の青臭い香りもまろやかという感じで、3月頃に植えて12月までには刈り取られ、直ぐに加工されて、12月も半ばになると新物として市場に出回ると言うサイクルだそうです。

主に東讃地方での栽培が盛んで、東かがわと隣接する徳島でもサトウキビ畑を見たことはあるので、あの辺りが生産地としては適していると言うことなのでしょう。

聞いた所によると、東の方は砂地の畑が多いため、サトウキビには適していたと言うことらしいです。

和三盆のお店として知られる三谷製糖は、香川県の東の果ての引田町に有り、界隈では今回もサトウキビ畑を沢山見ることが出来ました。

香川県のサトウキビ畑と砂糖の話

画像は宮古島のサトウキビ畑、畑の規模も違いますね。

沖縄のサトウキビは、沢山収穫するために、常に品種改良が成され、香川の竹糖と比べたら2倍~の太さが有ると思います。

サトウキビが太くなってしまった為に、重要な労働力だった、沖縄の在来馬では圧搾機を動かせなくなり、在来馬の絶滅に拍車がかかったと言う話も耳にしたことがあります。

また、沖縄のサトウキビは、春植えと夏植えがあって、2~3月に植えて翌年の春先に収穫するのが春植え、夏植えは文字通り夏場に植え付けして翌々年の年明けに収穫、

収穫後は根っこを残してそのまま発芽させる株出しと言う育成方法もあり、沖縄の農家は、春植え、夏植え、株出しを組みあわせて安定した品質・量の収穫を得ているとのことです。

一年中さとうきび畑風景が見られるのはこういう作付けがあるからと言うことですね。

白下糖(しろしたとう)と和三盆(わさんぼん)

白下糖(しろしたとう)と和三盆(わさんぼん)

収穫されたサトウキビを搾った汁が、まず白下糖になります。

白下糖とは「白くなる前の砂糖」で、糖蜜をまだ分離しないのでサトウキビの風味が残り、購入して皆で試食してみましたが、見た目は沖縄の黒糖、

味は、先に書いた通り、沖縄のものと比べると格段にまろやかで、続けて食べたくなる優しい甘さ。

沖縄出身もいるゆくい三線メンバーにも食べて貰いましたが、「サトウキビの匂いがしない」「味が薄い黒糖」「甘さがまろやか」「お茶うけにはこっちが良い」と言うコメントが出ました。

この、白下糖を、あと数回精製したものが、和三盆糖となり、白下糖から、和三盆になる頃には、四割ほども目減りするそうです。

黒糖を食べ慣れている者からすると、和三盆は上品な甘さ、って意見がやっぱり多く、何よりも、もはや和三盆は高級品ですから、沖縄の黒糖の方がリーズナブルに気軽に食べることが出来ると言うのは、今回幾つか買い求めて皆が思ったことです。

地元、香川の年配の方は、煮物は白下糖じゃないと、とか、お正月のお餅、ぜんざいを白下糖で、と言うのは、まさに食文化として染み付いていると言うことですね。

四国村にある砂糖しめ小屋

四国村にある砂糖しめ小屋

サトウキビ畑や製糖屋を訪ね歩いていると、同行のTさんが、そういえば、屋島の四国村へ小学校の遠足時で行った際に、砂糖絞りの道具を見たことがある、との話聞き、では行ってみようかと四国村へと車を走らせました。

盛んに砂糖作りが行われていた頃は、四国村に移築保存されている、砂糖しめ小屋の中を牛がぐるぐる回って、画像の様な道具を動かして、砂糖作りが行われていたと言うことです。

香川県のサトウキビ畑と砂糖の話

一見、なんと言うこと無い小屋じゃないか、って感想で、特に東讃地方には沢山あったそうですが、もはや現存するのはここ四国村に有るこの二棟だけ、収穫期だけに組み立てる見たいな色んな工夫が有る貴重な物だと言うことです。

>>> 四国村

瀬戸内海歴史民俗資料館のさとう車

瀬戸内海歴史民俗資料館のさとう車

某日、香川の祭りと芸能の資料展示が有ると言うことを聞きつけて、瀬戸内海歴史民俗資料館へ足を運びましたが、この資料館の「香川の里山文化」と言う展示室に「さとう車と書かれた」砂糖絞りの為の道具が有りました。

こうして画像を較べると、四国村に有る物と同じ作りです、どの様にして使われていたのか?と言うのは四国村の物がよくわかりますね。

そして、香川は砂糖の栽培が盛んだったんだなと、改めて、思った次第です。

>>> 瀬戸内海歴史民俗資料館

香川のさとうきびのまとめ

香川県のサトウキビ畑と砂糖の話

かつては、琉球地方の稼ぎ頭の産業だった、サトウキビ。

青い海と共に、彼の地の風景の一部として思い浮かべる事の出来るサトウキビ畑が香川でも、と言う楽しい取材となりました。

白下糖に和三盆、どちらも本当に美味しい、讃岐が誇る産物だと思います。

沖縄の三線工房や三線の先生を尋ねると、黒砂糖とお茶が勧められます、

ゆくい三線サークルでも、白下糖に和三盆に加えて香川茶でおもてなしをしたいねと話ました。

ぜひ、AID YUKUI に遊びに来て下さい。

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