沖縄本島北部の歌碑巡り

歌碑を訪れると、その唄が好きになって上手になるよ、との言葉を師匠から聞いて、今回の沖縄旅は出来る限り歌碑を尋ねてドライブしつつ、沖縄満喫となりました。

今、サークルで課題曲として指示されてる 安波節 の歌碑を中心に、沖縄本島の歌碑を検索して、恩納村から国頭方面へ足を伸ばそうと言う計画です。

それにしても、沖縄の歌碑の多さには驚くばかり、我らが香川県に歌碑なんてあったかな?みたいな感じなので、一体幾つの歌碑が沖縄県下にはあるのだろうと調べて見ましたが、その数は不明、

歌碑建立コンサート を開催しているのをSNSで見かけたりするので、今も増え続けているのは間違い無いみたいで、下調べの時点ですでに、流石 唄の島!となったのは言うまでも無い話です。

目次

本島北部の歌碑巡り

一日や二日で、本島北部にある歌碑の全部を回れるわけが有りませんが、自分が知るメジャーな歌碑は回れたかと思います。◯△✕節は?とか言われましたが、それは次回の歌碑巡りの際に!

国頭さばくい

国頭さばくいの碑

まず目指したのは、道の駅 ゆいゆい国頭。車を止めて、施設北側にある 国頭さばくいの碑へ。めちゃくちゃ立派です。国頭さばくいを演る際に、YouTubuでこの碑の前で撮影していた前川守賢先生の動画を見ていたので、余計に気分は⤴です。

道の駅 ゆいゆい国頭

道の駅 道の駅 ゆいゆい国頭、立派な施設でした。

かぎやで風節(かじゃでぃ風節)

かじゃでぃ風節 歌碑

道の駅、ゆいゆい国頭にそのまま車を置いて、集落を散歩しつつ かぎやで風 の歌碑へ。車でさっと行くよりも、自分の足で歩くと、集落の方と思わずお話が出来たり、色んな風景なども目に付くので、時間が許す限り何時もぶらぶらと歩くのを自分は好みます。

この奥間の集落も、瀬戸内海の離島に来てるみたいなのんびりした雰囲気が良かったです。

案内看板があったりして、迷うことなく歌碑にたどり着きました。

歌碑に書かれている琉歌は、沖縄の方は皆知ってると言う「今日のほこらしゃや なうにじゃなたてぃる」ではなく「あた果報のつきやす 夢やちやぅも見だぬ かぎやで風のつくり べたとつきやさ」で、こちらの方が元唄、元祖なんだと予め教えられていたので、独り頷きつつ、奥間鍛冶屋発祥の地 と言うことで、拝所もあって、手を合わせました。

個人の敷地だと言うので、出合わせたお家の方にご挨拶すると「車、中に突っ込んで大丈夫です」って言って下さりました。

「どちらから?南部の方から?」と聞かれたので「四国の香川県です」と言うと、「すみません、なんでこんな集落に来たの?」と聞かれたので「三線習っているので」と言ったら、「ああーっ!」と言う感じでした。

與那節

R58号線の与那トンネルの北側には與那節の歌碑がありました、たまたま出会った歌碑です。もちろん、與那節を知らない自分はその場で與那節を検索、便利な世の中です。

与那の高ひらや 汗はてど登る
無蔵に思なせば 車とうばる

国頭村与那の高坂は、与那集落と伊地集落を結ぶ峠道のことだそうで、その昔、道路が整備されるまでは、与那の高ひらは汗を流すほど難儀な坂道だったけど、愛しい人に会えることを思えば、と言う素敵な歌意でした。

音源・動画をYouTubuでは見つけられず、師匠にお尋ねした所、島袋正雄先生や玉城宗吉先生のアルバムに入ってるけど、メジャーな節じゃないとのことでしたが、歌碑を訪れると、その唄が好きになると言う言葉通り、聞いてみたく手配中です。

安波節

安波節 歌碑

そして、なかなかの急坂を歩いて、今回の歌碑巡りツアーの一番の目的、安波節の歌碑へやって参りました。

安波のまはんたや 肝すかれ所
宇久の松下や 寝なし所

案内板には、マハンタ広場と言う文字が!なるほど、師匠のおっしゃる「歌碑に足を運ぶと、」というのも腑に落ちます、安波のまはんた??みたいに思っていたけれど、マハンタ広場と言う場所だとこうして実体験として繋がりました。

毛遊びをしていたのか?って言う広場や、大きな松の木、何度も繰り返して歌って想像していた風景がそこには有りました。

恩納節

そして、恩納村に戻って、恩納節の歌碑。こちらの歌碑については、先輩方が以前に訪れたレポートに詳しいので、是非そちらをご覧下さい ❗️❗️


>>> 女流歌人 恩納ナビー【恩納松下の歌碑】

松下の同じ画像ばかりも何ナノで、歌碑の裏側を。建立されて、六十年ほどにもなるのですね。

恩納ナビー誕生の地のマッコウ家の碑
琉歌の里 恩納

番所松下の歌碑、恩納節からヌンドゥンチから神アサギ巡って、恩納ナビー誕生の地のマッコウ家の碑。万座毛へ足を伸ばして、巌谷小波の句碑とか、とにかく恩納ナビーを満喫しました。

こてい節

残波岬にある、こてい節の碑。

大北の特牛や なじち葉ど 好ちゅる
わした若者や 花ど好ちゅる

師匠によれば、かじゃでぃ風に並ぶ祝い唄として歌われるそうで、難易度高め、だとのこと。自分にはまだ、ですが、今回、かじゃでぃ風とこてい節の二つの祝い唄巡れました。

赤犬子宮【歌碑巡り番外編】

赤犬子宮

今回の歌碑巡りをするにあたって、絶対立ち寄ろうと思ってたのが、三線の祖 と呼ばれる 赤犬子 が眠る 赤犬子宮 です。

普段、ネットメディアで見る赤犬子宮は、演者の方で賑わっている様子しか見たこと有りませんでしたが、小高い丘の上にひっそりと佇み集落を見守るお宮さん、みたいな感じです。

参道の入口には、いきなり赤犬子の有名な琉歌「歌と三味線の昔初まりや~」に迎えられ、本殿に向かう石段脇には、琉球古典音楽野村流の碑があったり、ここが三線の神様の眠る地であることを感じ、否が応でも気分は盛り上がります。

赤犬子宮

掃除をしてから拝んで下さいの指示通り、境内を綺麗にして、赤犬子先生に三線頑張る決意表明、ゆくいの皆さんの唄三線も上達する様にお参りしました。

毎年旧暦9月20日に行われる赤犬子まつりとか、3月4日の三線の日の、古典音楽の奉納などに合わせて、また必ず訪れたいと思います。

沖縄本島北部の歌碑巡り まとめ

歌碑巡り楽しかったです。出会った歌碑の唄を演りたくなりました。二日間であちこち寄り道しながら回ることが出来た歌碑は、かじゃでぃ風節與那節安波節恩納節こてい節、加えて諸々、そして赤犬子宮

今まで物凄く遠いイメージで敬遠していた山原のドライブも、景色を楽しみつつ沖縄グルメを味わい、歌碑以外にも色々と満喫することが出来ました。

帰りの那覇空港国際ターミナルのストリート三線。まだ独りでここで三線弾く勇気はありません。

*このレポートはゆくいメンバーのMさんの沖縄旅です。

安波節 歌碑

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