三線伝来の地 堺の三線教室へ
ゆくい三線サークルは大阪にある「きよむら三線会」の方々に、定期的に足を運んでいただき、と言う形で運営しておりますが、大阪は堺にある、そのきよむら三線会の堺東教室へご挨拶がてらお稽古へと参加させていただきました。
きよむら三線会 堺東教室
こちらの教室では民謡コンクールを受験しておられる方が何名もおられ、昨日今日に三線を手にした自分には、その唄三線には圧倒されるばかり、
とは言え、きっちりとグループ分けされていて。あるグループでは、ゆくいの自分たちの様に、三線を始めたばかりの方も少なく無くて、なんだかホッとしつつ、お稽古を楽しませていただきました。
大阪の教室の様子は、また後日「ゆくいサークル」のメンバーには、お稽古の際にお伝えしたいと思いますが、今回、何よりもびっくりしたのが、三線は沖縄から堺に伝わって、それから長唄三味線や津軽三味線へと変わっていったんだとのお話でした。
長谷寺と顕本寺
お稽古が始まる前に、昼食がてら堺の街をぐるっと車で案内して貰い、立ち寄ったのが和泉長谷寺です。
その昔、いわゆる安土桃山から戦国時代、堺の町が当時の琉球王朝と盛んに貿易していた頃の話だと思います。
琉球の商人が堺に来ていたのか、堺の商人が琉球から三線を持ち帰って演奏したのかも判りませんが、こちら、1200年の歴史を持つ長谷寺では、蛇皮線の演奏などが本堂では行われていたと伝えられてるそうです。
長谷寺のお向かいには、顕本寺と言う寺院があり、そこには、当時流行していた、小歌を集め、独特な声調の隆達節(隆達小唄)を流行らせた高三隆達が居たそうです。
隆達は若くして顕本寺に出家したお坊さんで、ご覧の通り隆達の碑があります。
堺へやって来た琉球の人たちが夜な夜な三線片手に唄遊びしてたのを見た隆達さん達文化人が、三線を三味線に変えて広めて行った手助けをしたのはは間違い無いだろうね、と言うお話でした。
ものの始まりなんでも堺
ものの始まりなんでも堺、と言う言葉があり、堺で暮らす方の誇りなんだと言います。
先にお話した三味線に隆達節以外にも、謡曲、鉄砲に自転車、線香に金魚に銀座、沢山のものの始まりがあると言います。千利休や与謝野晶子、行基に河口慧海、など偉人も沢山おられるとのこと。
確かに、そこかしこに残る、古い町並みは、我らが香川の風景にも重なるものがあり親近感が持てます。
次回はゆっくりと、堺の町を散策してみたいと思います。
聞けば、堺グルメも沢山ある様子で、次回の訪堺が楽しみです。
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