高松城 (讃岐国)【玉藻公園】へ行ってきました
お稽古の次の日の香川県散策、今回は高松城跡 玉藻公園へと足を運びました。普段から高松市民は横目で眺めてる方は多いと思いますが、なかなか足を運ぶことは無いんじゃないでしょうか?
事実、ゆくいメンバーはいつ来たか覚えてないぐらい久しぶり、来香の先生たちもずっと昔にって話。そんな、高松のお城をのんびり散策しました。
目次
高松城の城主とその歴史
高松城は戦国時代の武将として知られる、豊臣秀吉が四国を平定した際に活躍した家臣、生駒親正によって築かれました。
1588年に建設が始まり、数年をかけて完成、その後、生駒親正は四代に渡って高松城を居城として栄えたものの、生駒騒動と呼ばれるお家騒動により所領を没収、1642(寛永19)年には水戸黄門として知られる、徳川光圀の兄である松平頼重(よりしげ)が新しい城主となり、明治時代の廃藩置県により讃岐藩は廃止されるまで讃岐地域の政治・経済・文化の中心地としての地位を確立したのです。
明治以降、高松城は軍事施設としての役割を経て、公園として整備されることとなり、1955年(昭和30年)に一般開放されることとなりました。海の上に浮かぶ様がとても珍しい城で、この辺りの海が「玉藻の浦」と呼ばれたことから「玉藻城」と言う異名をもつこの城は、国に指定された史跡、重要文化財であり名勝として人が訪れます。
見どころ
流石に名勝と呼ばれるだけあって、じっくり見て回れば一日では足りないでしょうし、四季折々の様も興味深い所ですが、今回ざっと見て回ったお城の様子を紹介します。
天守閣跡
JR高松駅・琴電高松築港駅からほど近い、西門で入園料を買い求め、二の丸跡を右に見ながら、案内板に従って鞘橋・本丸跡方面へ右折します。本丸跡の景色を見たいなら、先にこちらを見ておかないと、また戻ってくることになるので注意です。と言うか、この場所へ来たら、天守閣跡の景色は見ておかないとと言う場所だと思います。
天守閣へ向かう唯一の通路である味のある鞘橋(さやばし)を渡って、2005年から2013年(平成17年から25年)にかけて復興された石積み跡の階段を登って本丸 天守閣跡へ、確かに景色は良いです。正面に見えるのは男木島女木島辺りでしょうか。海のお城らしい風景が見れます。
江戸時代の天守閣は、松平頼重が1670年(寛文10)に3層5階(3層4階+地下1階)、地上約27mと四国最大級の規模を誇ったそうですが、明治17年に老朽化で取り壊されましたが、かつては周辺の建物も低かった訳ですから、今よりももっと眺めは良かったことでしょうね。
天守閣復元の話は度々耳にもしますが、ずっと先の話なのは間違い無いでしょう、さぞかし眺めは良いかと思います。
ひとしきり堪能したら、もと来た道を戻ります。
鯛の餌やり 鯛願城就
直ぐに現れるのは城舟体験(じょうせんたいけん)の船乗り場、そして、高松城名物、鯛願城就の鯛の餌やりです。ガチャガチャで100円の餌を購入したら、良くある鯉の餌やりよろしく、バシャバシャと鯛がよってきます。
鯛の餌やりポイントは二箇所あるので、船乗り場が混んでいたら、その先にもある餌やりポイントへ行くと良いですこちらの方が空いてるそうです。それにしても、餌貰えるの判ってるんでしょうかね、鯛がこんなにも群がってやってくるのは有り難くないよね、ってぐらい、凄い勢いで寄ってきます。
披雲閣(ひうんかく)
江戸時代から存在する(当時は今の二倍以上の広さだったらしい)、城主が暮らし藩政が行われる場所だったのが、披雲閣だったそうです。現在の披雲閣は、廃藩置県の後、取り壊された旧披雲閣を高松松平家の12代当主松平頼寿(よりなが)が再建、1917年(大正6年)に完成しました。
伝統を踏まえた近世以来の正統的書院造として伝統技術と洋風技術が見事に融合された建築物として2012年(平成24年)には国の重要文化財に指定されました。
桜御門
桜の馬場と三の丸(披雲閣)を隔てる門が桜御門で、高松空襲で焼失してしまいましたが、2022年(令和四年)、80年振りにに再建されました。高松城下図屏風』に描かれており、焼失の前年には重要文化財指定が決まっていたと言うことで、再建は天守閣の復元に向けての大きな一歩だということで、新たな見どころとして挙げられます。
県立ミュージアム
歳を重ねたからか、あちこちへ出掛けた際に、こういった博物館などの施設へお邪魔する様になりました。香川県の歴史など、じっくり見ることが出来て、改めてミュージアムは面白いなという感じ、香川の県立ミュージアムはまた来ようと思います。
月見櫓
元々は「着見櫓(つきみやぐら)」が本来の呼び名で瀬戸内の海を監視していたとか。直ぐ南にある水手御門(みずてごもん)からは海へ漕ぎ出ることもあったんだろうなと今の時代でも容易に想像出来る場所で、城から海へつながる門は全国唯一現存する物なんだそうです。
海と繋がっている高松城らしい場所やないかと思います。
高松城(玉藻城)御城印
近頃、お城ファンの間では、登城記念としてすっかり定着していると言う、御朱印ならぬ御城印。専用の御城印帳なんかも合ったりするらしいですが、神社仏閣の御朱印と同じく 300円 と言うことで、初めての御城印は高松城となりました。
でも、貰えるのは、御朱印とは違って、予めプリントされた日付も書いてないそれっぽいもの。既に全国に500以上もあるという、こいつを集めるのはなかなかマニアックな世界ですね。
スタンプ
御城印以外にも、日本100名城スタンプや画像のような記念スタンプが東西の入り口と管理事務所で貰える感じです。
有料の御城印も良いですが、こういうスタンプを集めるのも良いですね、無料ですし 笑
水攻めで有名なのは岡山の高松城です!
織田信長の元、日本統一に向けて奔走した豊臣秀吉が、水攻めを行い攻め落としたのは、高松城から瀬戸内海を挟んだ向かい側、岡山県南部の城主・清水宗治(しみず むねはる)の備中高松城で、讃岐の国の高松城ではありません。結構勘違いされてる方も居るらしいです。
>>> 備中高松城の場所
アクセスとか入場料 開演時間に駐車場案内
大人(16歳以上) 200円 140円
小人(6歳以上16歳未満) 100円 70円
開園時間については、画像の通り、季節によって細かく変動してる様子で、朝早くに登城する際には、公式サイトを確認した方が無難ですね。
また、玉藻公園専用駐車場が東入口に(57台)ありますが、街中の各所にコインパーキングがあるので、観光で色々見て回るなら、場合によっては駅前のパーキングを利用したほうがアクセスは良かったりするかもしれません。
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